「恋文の技術」に登場するおっぱいに関する名言まとめ
以前、私のお友達のチンパン番長が恋に悩んでいたとき、ケイドウエイ子が「ここは恋文を書いてみてはいかがでしょう」と提案していたのですが、そのときにお薦めしていた「恋文の技術」を読んでみました。
手に取るまではラブレターの書き方の指南書だと思っていたのですが、これが全く違いました。京都から能登の実験所に飛ばされた大学院生が、「文通武者修行」と称して京都に住む仲間たちに手紙を書きまくるという、書簡形式の小説・・・に見せかけた「おっぱい小説」だったのですよ、これが。
特に「おっぱい病」を罹った友人への手紙には、数々のおっぱいに関する珠玉の名言がちりばめられており、これには激しく心を揺り動かされたので、そのうちのいくつかを紹介したいと思います。
(おっぱいなんて)しょせんは、ちょっと男よりもふっくらしているというだけの、身体的特徴の一つに過ぎないではないか。
理性的な立派な男たるもの、おっぱいの一つや二つ、鼻で笑う度量があるものだ。
山伏の修行の大半は、こんもり膨らむ山を見ても「おっぱい」を連想しなくなるために費やされる。
人間が進化して二足歩行をするようになると、お尻のカリスマ性は少しずつひかえめになり、代わって圧倒的な勢力をもって台頭してきたのがおっぱいであった。
君は彼女が好きなのか?それともおっぱいが好きなのか?
欲望をごまかしきれたと天狗になったとたん、おっぱいは容赦なく君に牙をむくだろう。
おっぱいは我々の目前にデンと居座り、我々の精神を束縛する。
おっぱいによる支配を一掃してこそ、真に人間と人間による魂の交流が可能となる。我が手に自由を!
おっぱいは世界に光をもたらす。光あれ。
今そこにあるおっぱいの存在をひたすら疑うことによって、目前のおっぱいが抽象的存在となるまで己を追いつめ、おっぱいの呪縛から自由になるという手法だ。(方法的おっぱい懐疑)
おっぱいそれぞれ、人生それぞれ
おっぱいはどこまでもおっぱいだったのだ。
ああ、おっぱい万歳
俺はただおっぱいから自由になりたかっただけ―今でもこの信念は揺るがない。おっぱいから自由になること。すべてはそこから始まる。
おっぱいの魅力に必死に抗おうとしながらも、結局はその魅力に獲り込まれていく悲しき男の性。共感する方も多いのではないでしょうか?
ところでこの小説、実はまだ半分くらいしか読んでいないのですが、全く恋文なんて書いていないんですけど?主人公には想う人がいるようなので、後半には書くんでしょうかね?
なにはともあれ、おっぱい万歳!
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